「書く」タスク管理 (20210926)
タイトル候補である『「書く」タスク管理』にタイトルを変更してみたいと思います。
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リライト後の本文
===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
物事を扱うのに頭の中だけでいつも完結できるのであれば、それでもよいと思うのですが、その日の調子によっては頭のなかにうずまく感情があったりと、同じ物事を扱うのでも違った考え方や見方(たいていは一方的な見方)をしてしまうことがあります。
そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、頭の外に物事を出して扱いたいとき、そんなときには文字にしてみる、図に描いてみる、表にしてみるなどがあります。特に文字または文章にしてみることは、図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
===2 Atomicなものとして書き出す
文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。私も後に例で出しているように実際にAtomicに書き出しています。書くことについては、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術に「Evergreen notes should be atomic」とあります。ここにあるAtomicの意味に着目したいと思います。
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。そうしてAtomicに書き出すことで、連想・リンクしやすくなります。
書くことの延長線上にあるタスク管理を行う際に、対象をAtomicではない大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせにくくなります。それは、発想や変化を生み出しにくくなります。複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクについてAtomicなものとして書き出すとき、それは普通のタスク管理で大きなタスクを小さなタスクに分ける分解とはちょっと異なったものになります。
分解
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
床屋・美容院を予約する
予約した日時に床屋・美容院に行く
床屋・美容院で髪を切ってもらう
床屋・美容院から帰ってくる
Atomicなもの
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
行くのが面倒くさいので、なにかのついでに行ってこようかなと思う
そういえば、近くに気になってたケーキ屋さんに寄ってみたい
ケーキをごほうびにして床屋・美容院を予約する
どうでしょうか。分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
===3 自分なりのアウトラインを作る
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
先ほど挙げた「髪の毛を切る」アウトラインを見てみましょう。前者は、頭の外にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ頭の中へと入れておく、すでにあるものを認識するアウトラインとなります。いわば「手順」のような誰が作ってもほとんど同じとなるものです。客観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクにあり、タスクに関する理解が進むことになります。
後者は、頭の中にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ、意識の上に現し出しておく、未だないものを認識するアウトラインになります。いわば「気づき」のような人それぞれ自分なりのアウトラインになりやすいものです。主観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクの担い手(書き手)にあり、担い手(書き手)関する理解が進むことになります。
===4 リストにあるタスクからの選択とリストにないタスクからの選択を並走させる
Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。そうしたノートやリストの使い所として挙げるならば、日々を過ごす中でやること(またはやらないこと)について使ってみるのはどうでしょうか。以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
週末に買い物に行くときに、買うもの、または買わないものを書いて残しておく。
気になった本があったときにタイトルをメモして残しておく。
家族の予定を聞いたときに書き留めておくなど。
ノートやリストを使ってみるときに気をつけたいのは、ノートやリストにしたものからだけやることを決めるものではないということです。せっかく、やることについてノートやリストを使ってみることにしたのに、と思いたくなりますが、やってみるとわかりますが、すべてのやることに対してリストから選択するのは、「言うは易く行うは難し」で意外とハードルが高いです。
最初は、リストを気にせず選択することを優先して、適宜ノートやリストに書いて残しておくほうが慣れるまでは破綻しにくいと思われます。そうして徐々にノートやリストができあがってくると、リストがあるからリストにないタスクをやっていても元のタスクに戻ることができると思える状態が生まれてきたりします。リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。リストにないやることでも必要だと判断したらやる選択をする。そのようにして、リストにあるものとリストにないものとを並走させながらハイブリッドに選ぶようにします。そうして、リストにないものをやったときには再び適宜ノートやリストに書いて残すことを繰り返してみましょう。
===5 既存のシステムと自分のやり方をシェイクする
ノートやリストがただ点在していても、まとまりがありません。まとめるためのやり方にはどんなものがあるのでしょうか。時間が潤沢にあり、車輪の再発明もいとわないのであれば、ゼロから自分のやり方を作ることも可能です。また,そこに楽しみがあったりもします。ですが、もしかしたらそうしてせっかく作り上げた自分のやり方も過去の先人たちに遠く及ばないものかもしれません。もし、過去の先人たちの編み出した既存のシステムにどんなものがあるのか調べてみたくなったときには、うってつけの本として『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(以下「やるおわ」)がありますので参考にしてみて下さい。
既存のシステム
GTD
自分←イマココ
マニャーナの法則
GTDからのトップダウンでGTDのシステム内に自分が入ることで、これまでの自分のやり方になかった部分を学び、吸収する格好になります。ただ、残念ながら既存のシステムを知っただけで、自分のやり方として使うことは窮屈で困難なことだと思います。そこで以下のとおり、アウトラインをシェイクしてみます。
トップダウンでの成果とボトムアップでの成果を相互にフィードバックすることで、書きながら浮かんでくるランダムな発想を活かし、有機的に連結していく
自分のやり方
GTD的←イマココ
マニャーナ的
自分(のやり方)をボトムアップさせて、GTDにトップダウンの形をとります。これだと自分のやり方のトップダウンでGTD的なシステムを扱うイメージができそうでしょうか。
GTDを使ってうまくいかないことも出てきたら、もしかするとまだ充分にGTDを学んだといい難い部分があるのかもしれません。そうしたときにふたたびGTDからのトップダウンで自分を位置づけます。こうしたシェイクを繰り返すことで、だんだんと自分のやり方としてGTD的な要素をAtomicに取り入れていくようにします。もしかすると、GTDそのものが自分にとって充分ではない部分があることに気づくかもしれません。
GTDをやっていても、GTDとは別のやり方をしたくなったら別のやり方をやってみます。これも「ハイブリッド」でやっていくやり方です。それを他の方法も含めて繰り返していくと、それらが組み合わさって自分なりのやり方ができあがってきます。これは「シェイク」に相当するものです。シェイクのやり方が受け入れられると、自分のやり方が崩れたときにも対応できるようになります。
タスク管理で使うシェイクは、シェイクの一部でしかなく、広く文章を書くときにシェイクというのが有効となりますので、詳しくは『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』を参考にしてみて下さい。
===6 自分のやり方の崩れに気づく
「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」ことで曲がりなりにも自分のやり方でやってみてうまくいくところを見つけることができたとします。でも、うまくいくようになった(できた)のに、自分でそのやり方を意識していないうちに崩してしまうようなことがあります。無理をしているところ、またはあとで無理がたたってくるようなことはないかどうかを確認してみます。
物事は変化していくので、崩れてあたりまえです。これを崩さまいとしたり、崩れたことに失望しているよりも、崩れたものを元に戻すのか、もしくは崩れたやり方のほうこそ本来の使い方とするのかを考えてます。うまくいかなかった(崩れた)ことを「Atomicなものとして書き出す」こと、そしてそれを「自分なりのアウトラインを作る」ようにしてみます。必要であれば再び「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」こともよいでしょう。
気をつけたいのが、「既存のシステム」と「自分のやり方」と比較して崩れている(合致していない)ことよりも、「うまくいっている(ときの)自分のやり方」と「うまくいっていない(ときの)自分のやり方」とを比較して崩れている、崩れてしまった部分に着目するようにします。こういうときに「書くこと」が大切になります。なぜ崩してしまったのか、崩れないようにするにはどうすればいいのかを自分のやり方に含める(または取り除く)ことを考えます。
===7 ここに書いたことでさえ
これまでに述べたことを「書くタスク管理」と呼んでみましょう。では、この「書くタスク管理」をそのままやればいいのでしょうか。話はそう簡単には行きません。それは「書くタスク管理」は私にとっては「自分のやり方」でも、人からみれば「既存のシステム」になってしまっているからです。
既存のシステム
GTD
マニャーナの法則
…
書くタスク管理
自分←イマココ
そこで「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」です。
自分のやり方
GTD的
マニャーナ的
…
書くタスク管理的←イマココ
「書くタスク管理」のすべてを取り入れるのではなく、「Atomicなものとして書き出す」ことによって、「自分なりのアウトラインを作る」この繰り返しで、ぜひ自分のやり方を作り上げてみてください。そこまで含めてこそ「書くタスク管理」なのです。
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章別
===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
→しかし、普通のタスク管理でもタスクを書くのではないか、という疑問が読者の頭の中に起こるはず
以下のような内容の文章を追加しようと思います。
普通のタスク管理でも書くことを謳っていますが、それと同じ理由で「書くこと」は重要なことである
書いてみることの内容と書いてみた内容をどう扱ってみるのかを述べる
===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
物事を扱うのに頭の中だけでいつも完結できるのであれば、それでもよいと思うのですが、その日の調子によっては頭のなかにうずまく感情があったりで、同じ物事を扱うのでも違った考え方や見方(たいていは一方的な見方)をしてしまうことがあります。
そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、頭の外に物事を出して扱いたいとき、そんなときには文字にしてみる、図に描いてみる、表にしてみるなどがあります。特に文字または文章にしてみることは、図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。書くことの延長線上に置いた「書いてみるタスク管理」があると私は考えています。タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクについて書いてみる内容と書いてみた内容をどう扱うのかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
===2 Atomicなものとして書き出す
Atomicに書き出すようにします。
とあるが著者が実際にそのようにしているのか、それともそうした方が良いというある種の理論なのかが、ちょっと見えてこない。
実際にしているということを書こうと思います。
Evergreen notesというノート術にある「Evergreen notes should be atomic」
とあるが、なぜこれを採択したのか、このノート術はこの指針を採用することでどのような効果を狙っているのかが開示されていないのでかなり唐突な感じがする。
元の文章
Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術にある「Evergreen notes should be atomic」としての意味に着目したいと思います。
修正後
書くことついては、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になりそうです。Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術に「Evergreen notes should be atomic」とあります。ここにあるAtomicの意味に着目したいと思います。
しかし、こうしてatomicに書き出すことで、どんな効果があるのかが明示されていない。違っていることはわかるが、その違いが、これまで書いてきた話とどう関連しているのかが自明ではない。
なぜatomicに書かなければいけないか(書くとどんな嬉しいことがあるのか、既存のタスク管理になかったことが得られるのか)が説明されていない。
元の文章
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。
atomicに書き出すことで、どんな効果があるのかを明示する(違っていることはわかる)
連想・リンクさせることができるようになる。そうして他にものに変化させることができる。
これまで書いてきた話と(atomicに書き出すことが)どう関連しているのかを明示する
これまで書いてきた話
「書くこと」によるタスク管理
書くことの延長線上にあるタスク管理
大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせることができにくい。他のものに変化させにくくなる。
複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースだと連想しやすくなる。
===2 Atomicなものとして書き出す
文字または文章にしみてるときは、Atomicに書き出すようにします。私も後に例で出しているように実際にAtomicに書き出しています。
書くことついては、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術に「Evergreen notes should be atomic」とあります。ここにあるAtomicの意味に着目したいと思います
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。そうしてAtomicに書き出すことで、連想・リンクしやすくなります。
書くことの延長線上にあるタスク管理を行う際に、対象をAtomicではない大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせにくくなります。それは、発想や変化を生み出しにくくなります。複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクについてAtomicなものとして書き出すとき、それは普通のタスク管理で大きなタスクを小さなタスクに分ける分解とはちょっと異なったものになります。
分解
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
床屋・美容院を予約する
予約した日時に床屋・美容院に行く
床屋・美容院で髪を切ってもらう
床屋・美容院から帰ってくる
Atomicなもの
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
行くのが面倒くさいので、なにかのついでに行ってこようかなと思う
そういえば、近くに気になってたケーキ屋さんに寄ってみたい
ケーキをごほうびにして床屋・美容院を予約する
どうでしょうか、分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。
このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
===3 自分なりのアウトラインを作る
ここまでの中で、「頭の中と外で行き来しやすい形にしましょう。なぜならホゲホゲだからです」という説明がないので、なぜそれをしなければならないのかがわからない(読者の頭の中でその階段が築かれていない)。
図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。
という部分があるが、これが「「頭の中と外で行き来」に関係しているのかもわかりにくい。
そもそも「頭の中と外で行き来」とはどういうことか。それをするとどうよいのか、できないと何が悪いのかが示されていると階段を上りやすい
追記・修正後の文章
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。
続いて二種類のアウトラインの説明がある。→非常に重要な説明
ただ、階段が作られていないので何が説明されているのかを位置づけるのが難しい。
たとえば倉下ならば「自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは○○なアウトラインです」のような説明を入れてみる。そこから二つのアウトラインの違いの説明に移行する。
ここの文章は素直にそのままいただきたいと思います。
では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
メモ
「髪の毛を切る」に至るまでのアウトラインを例示する
===3 自分なりのアウトラインを作る
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
先ほど挙げた「髪の毛を切る」アウトラインを見てみましょう。前者は、頭の外にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ頭の中へと入れておく、すでにあるものを認識するアウトラインとなります。いわば「手順」のような誰が作ってもほとんど同じとなるものです。客観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクにあり、タスクに関する理解が進むことになります。
後者は、頭の中にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ、頭の外意識の上に現し出しておく、未だないものを認識するアウトラインになります。いわば「感想」のような人それぞれな自分なりのアウトラインになりやすいものです。主観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクの担い手(書き手)にあり、担い手(書き手)関する理解が進むことになります。
==4 リストにあるタスクからの選択とリストにないタスクからの選択を並走させる
最初は、リストにないものから選択することを優先して、適宜ノートやリストに書いて残しておくほうが慣れるまでは破綻しにくいと思われます。
素直に読むと、「よし、これはリストにない。選択しよう!」という奇妙な行動を勧めているように感じます。
リストを気にせず選択する?
確かに、「リストを気にせず選択する」ということが言いたかったのかもしれません。
===4 リストにあるタスクからの選択とリストにないタスクからの選択を並走させる
Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。そうしたノートやリストの使い所として挙げるならば、日々を過ごす中でやること(またはやらないこと)について使ってみるのはどうでしょうか。以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
週末に買い物に行くときに、買うもの、または買わないものを書いて残しておく。
気になった本があったときにタイトルをメモして残しておく。
家族の予定を聞いたときに書き留めておくなど。
ノートやリストを使ってみるときに気をつけたいのは、ノートやリストにしたものからだけやることを決めるものではないということです。せっかく、やることについてノートやリストを使ってみることにしたのに、と思いたくなりますが、やってみるとわかりますが、すべてのやることに対してリストから選択するのは、「言うは易く行うは難し」で意外とハードルが高いです。
最初は、リストを気にせず選択することを優先して、適宜ノートやリストに書いて残しておくほうが慣れるまでは破綻しにくいと思われます。そうして徐々にノートやリストができあがってくると、リストがあるからリストにないタスクをやっていても元のタスクに戻ることができると思える状態が生まれてきたりします。リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。リストにないやることでも必要だと判断したらやる選択をする。そのようにして、リストにあるものとリストにないものとを並走させながらハイブリッドに選ぶようにします。そうして、リストにないものをやったときには再び適宜ノートやリストに書いて残すことを繰り返してみましょう。
倉下の感覚では、このままの構成をブラッシュアップする場合は、「シェイク」がなぜここで導入されるのか、つまり「書いてみるタスク管理」という原稿にこの話題がなぜ挿入されるのかをより明確にするために、「文章執筆におけるシェイクの位置づけ」を示すと思います。文章を書くときにシェイクというのが有効で、それって手法にも使えるよね、みたいな話の運びです。たぶん文字数は+4000字くらいになります。それもありです。
たしかにシェイクのことを書いたほうが話しの運びとしてもよさそうに思えますが、タスク管理で使うシェイクは、シェイクの一部でしかなく、シェイク全体を自分がうまく説明するだけの理解がないからTak.さんへのブログの誘導でさらりと流しておきたいようにも思えます。
というようなことを書いておいたほうがよいのかもといま思いました。
追加文
タスク管理で使うシェイクは、シェイクの一部でしかなく、広く文章を書くときにシェイクというのが有効となりますので、詳しくは『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』を参考にしてみて下さい。
===5 既存のシステムと自分のやり方をシェイクする
そのようにして、リストにあるものとリストにないものとを並走させながらハイブリッドに選ぶようにします。
という話をしているので(読者の頭の中にその階段が築かれているので)、それと同じようなことだ、という説明にしてもいいかも。
つまり、ある手法(これが作ったリストに対応)をやっていても、その手法とは別のやり方をしたくなったら、そうする。そのように「ハイブリッド」でやっていく、という説明。
それを繰り返していくと徐々に自分なりの方法ができあがり、そのやり方って「シェイク」と呼ばれているものに相当する、という説明。
で、そうしたシェイクのやり方を受け入れられたら、やり方が崩れても対応できる、という風に次の節に接続できる。
追加文
GTDをやっていても、GTDとは別のやり方をしたくなったら別のやり方をやってみます。これもまたひとつの「ハイブリッド」でやっていくやり方です。それを他の方法も含めて繰り返していくと、それらが組み合わさって自分なりのやり方ができあがってきます。これもひとつの「シェイク」に相当するものです。シェイクのやり方が受け入れられると、自分のやり方が崩れたときにも対応できるようになります。
メモ
前出の===3 自分なりのアウトラインを作るにあった「頭の中と外で行き来」もまたシェイクの一つの形
===5 既存のシステムと自分のやり方をシェイクする
ノートやリストがただ点在していても、まとまりがありません。まとめるためのやり方にはどんなものがあるのでしょうか。時間が潤沢にあり、車輪の再発明もいとわないのであれば、ゼロから自分のやり方を作ることも可能です。また,そこに楽しみがあったりもします。ですが、もしかしたらそうしてせっかく作り上げた自分のやり方も過去の先人たちに遠く及ばないものかもしれません。もし、過去の先人たちの編み出した既存のシステムにどんなものがあるのか調べてみたくなったときには、うってつけの本として『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(以下「やるおわ」)がありますので参考にしてみて下さい。
既存のシステム
GTD
自分←イマココ
マニャーナの法則
GTDからのトップダウンでGTDのシステム内に自分が入ることで、これまでの自分のやり方になかった部分を学び、吸収する格好になります。ただ、残念ながら既存のシステムを知っただけで、自分のやり方として使うことは窮屈で困難なことだと思います。そこで以下のとおり、アウトラインをシェイクしてみます。
トップダウンでの成果とボトムアップでの成果を相互にフィードバックすることで、書きながら浮かんでくるランダムな発想を活かし、有機的に連結していく
自分のやり方
GTD的←イマココ
マニャーナ的
自分(のやり方)をボトムアップさせて、GTDにトップダウンの形をとります。これだと自分のやり方のトップダウンでGTD的なシステムを扱うイメージができそうでしょうか。
GTDを使ってうまくいかないことも出てきたら、もしかするとまだ充分にGTDを学んだといい難い部分があるのかもしれません。そうしたときにふたたびGTDからのトップダウンで自分を位置づけます。こうしたシェイクを繰り返すことで、だんだんと自分のやり方としてGTD的な要素をAtomicに取り入れていくようにします。もしかすると、GTDそのものが自分にとって充分ではない部分があることに気づくかもしれません。
GTDをやっていても、GTDとは別のやり方をしたくなったら別のやり方をやってみます。これもまたひとつの「ハイブリッド」でやっていくやり方です。それを他の方法も含めて繰り返していくと、それらが組み合わさって自分なりのやり方ができあがってきます。これもひとつの「シェイク」に相当するものです。シェイクのやり方が受け入れられると、自分のやり方が崩れたときにも対応できるようになります。
タスク管理で使うシェイクは、シェイクの一部でしかなく、広く文章を書くときにシェイクというのが有効となりますので、詳しくは『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』を参考にしてみて下さい。
===6 自分のやり方の崩れに気づく
気をつけたいのが、「既存のシステム」と「自分のやり方」と比較して崩れている(合致していない)ことよりも、「うまくいっている(ときの)自分のやり方」と「うまくいっていない(ときの)自分のやり方」とを比較して崩れている、崩れてしまった部分に着目するようにします。
というときに「書くこと」が大切なのです、とすると原稿全体のテーマと接続できる。
追加文
こういうときに「書くこと」が大切になります。
===6 自分のやり方の崩れに気づく
「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」ことで曲がりなりにも自分のやり方でやってみてうまくいくところを見つけることができたとします。でも、うまくいくようになった(できた)のに、自分でそのやり方を意識していないうちに崩してしまうようなことがあります。無理をしているところ、またはあとで無理がたたってくるようなことはないかどうかを確認してみます。
物事は変化していくので、崩れてあたりまえです。これを崩さまいとしたり、崩れたことに失望しているよりも、崩れたものを元に戻すのか、もしくは崩れたやり方のほうこそ本来の使い方とするのかを考えてます。うまくいかなかった(崩れた)ことを「Atomicなものとして書き出す」こと、そしてそれを「自分なりのアウトラインを作る」ようにしてみます。必要であれば再び「既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」こともよいでしょう。
気をつけたいのが、「既存のシステム」と「自分のやり方」と比較して崩れている(合致していない)ことよりも、「うまくいっている(ときの)自分のやり方」と「うまくいっていない(ときの)自分のやり方」とを比較して崩れている、崩れてしまった部分に着目するようにします。こういうときに「書くこと」が大切になります。なぜ崩してしまったのか、崩れないようにするにはどうすればいいのかを自分のやり方に含める(または取り除く)ことを考えます。
全体
倉下の感覚では、このままの構成をブラッシュアップする場合は、「シェイク」がなぜここで導入されるのか、つまり「書いてみるタスク管理」という原稿にこの話題がなぜ挿入されるのかをより明確にするために、「文章執筆におけるシェイクの位置づけ」を示すと思います。文章を書くときにシェイクというのが有効で、それって手法にも使えるよね、みたいな話の運びです。たぶん文字数は+4000字くらいになります。それもありです。
でもって、構成を検討してみたのですが、話の流れ自体は全然悪くなくて、気になるのが、
話題が唐突に出てきている印象がいくつかの部分にある
全体のテーマとの関係性が不明瞭な部分がある
というものです。
「それは何で、なぜこの話題が出てきているのか、全体のテーマとの関係性(あるいは一つ前の話題との関係性)」を明示するようにすると──文字数はとんでもなく増えていきますが──ぐっと読みやすい原稿になると思います。
内容として、「===3 自分なりのアウトラインを作る」と「===5 既存のシステムと自分のやり方をシェイクする」が呼応関係(相似関係)にあるはず。